クアラルンプールにPasar Seni(パサール・スニ)という駅があります。
近くをフラフラしていたときに「なんだかマレーシアっぽくない建物があるなぁ」と気になっていたので、休みの日に近くを散策してきました。
確認したところ「スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング」という建造物で、イギリスの植民地時代に建てられてたとのこと。
この記事ではスルタン・アブドゥル・サマド・ビルディングについてお話できればと思います。
- マレーシアの観光スポットについて知りたい方
- イギリス植民地時代の建造物について興味のある方
スルタン・アブドゥル・サマド・ビルディングとは?
いつの時代に建てられたのか?
1897年に完成。
19世紀後半なのでもう建設されてから1世紀以上経っています。
私が訪れた日は補修工事のような作業が行われていました。
建造された目的
イギリスの植民地政府の行政・司法機関の本部として建設されました。
当時のマレーシアはイギリスの植民地だったんだね。
一部の地域はね。
この時代のマレーシアは国として今の領土で統一されてなかったんだって。
各州をスルタン(君主)が治めてたんだけど、対立や内戦が起きていた。
そこをイギリスが州別に異なる形で保護(という名目の植民地化)していき、なかなか気づかれない形で支配が進んでいったんだ。
当時のマレーシアではイギリスによる武力介入で植民地化が進んだというわけではなく、一部の州を皮切りに少しずつスルタンによる統治からイギリスによる統治へ切り替わっていきました。
1895年、ペラ、スランゴール、ヌグリ・スンビラン、パハンの4州が「Federated Malay States(マレー連合州)」として統合されることが決定され、翌1896年7月、正式に発足。
この4州はイギリスの保護地域として、スルタンが形式的な統治者として残る一方、実際にはイギリスが派遣した居住官(Resident)が実権を握っていました。
1897年4月にスルタン・アブドゥル・サマド・ビルディングが完成し、現在のマレーシア首都であるクアラルンプールは、この新たに形成されたマレー連合州の行政中心地として発展していきました。
マレーシア人はこの建物に悪感情を抱いているか?
予想を含みますが、以下の点からあまり悪感情を抱いている印象はありません。
- 改修・保全の工事が行われており、文化的価値が認められている
- ムルデカ・スクエア(独立公園)の前に位置し、独立の背景となった象徴としての役割がある
良し悪しより重要な歴史の一部ってイメージ?
実際、自国の誇る観光地として認識している人もいるみたい。
建物名の由来
当時のスランゴール州第4代目スルタンである「スルタン・アブドゥル・サマド」にちなんでつけられたそうです。
本人の命令でこの名称が採用されたわけではなく、彼がスランゴール州のスルタンとして長期間在位し、地域の発展に大きく寄与したことを記念するためと考えられています。
イギリスがマレーシア人からの反発を招かないように、敬意を払う形をとったという見方も。
余談ですが、「アブドゥル」や「サマド」は下記の意味になるそうです。
- アブドゥル:「~のしもべ」
- サマド:「永遠なる者」「自立している者」を意味し、イスラム教においては「アッラー」を指す
つなげて「アッラーのしもべ」となります。
2024年現在のスルタン・アブドゥル・サマド・ビルディング
ムルデカ広場側から撮影。
時計台が人目を引きますね。
ムルデカ広場の反対側へ移動。
すぐ近くには同じ名前のモスク(通称ジャメモスク)もあります。
Gombak川とKlang川の合流地点のすぐそば。
Kuala(川の合流地点) Lumpur(泥)を合わせて、「泥の川の合流地点」としてクアラルンプールの由来になっています。
クラン川の方から撮影した時計台。
周辺施設
ムルデカ広場
クアラルンプール記念図書館
Pasar Seni(パサール・スニ)駅の方まで足を延ばせば、中華街もあって観光にも良いエリアだと思います!
また、Gombak川とKlang川付近は夜に行くとライトアップされています。
奥に映っているモスクがジャメモスク(正式名称:スルタン・アブドゥル・サマド・ジャメモスク)です。
クアラルンプール最古のモスクとのことで、一見の価値あり。
おわりに
個人的には「支配からの脱却と国として困難を乗り越えた際の象徴的建造物」といった印象を受けました。
対面に独立公園があるのも相まってですが。
マレーシアに観光で訪れた方にもおすすめできるスポットなので、是非一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。
※ちなみに残念ながら、内部の見学は不可です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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